多芸は無芸、1つのジャンルや物事に集中する事の重要性

皆さん1つのことに集中できていますか?

私は動画にブログに生放送にゲームと、現時点でも全てを極めるには到底時間が足りないというのに、まだ新しい事を探そうとしています。

やりたいことに対して時間が圧倒的に足りない状況なのですが、そんな忙しい日々を送っている中ふと「多芸は無芸」という言葉が頭をよぎりました。

そこでこの言葉についてよく調べてみた所、まさに私がいま進もうとしている道そのものである事に気がついてしまいました。

というわけで今日は多芸は無芸という言葉と、1つのことに集中することの重要性について考えてみます。

多芸は無芸とは

多くの芸を持っている人はどれも中途半端になってしまい、結局は芸を全く持たない人と同じという意味です。

今の私はよりたくさんの事を出来る人になる為に、様々なジャンルに手を出そうとしています。

現状でも全てを満足に出来ていないというのに、この上やることが増えてしまってはきっと何も出来ない人と同じになってしまうのではないかと考えました。

学生にも選択科目というものがある

思えば、学生の頃にも選択科目というものがありました。

まず理系に進むか文系に進むかを選び、その中でも理系であれば数学を学ぶのか科学を学ぶのか、文系であれば文学を学ぶのか経済や社会について学ぶのかと、1つの系統の中でもより細かな分野に分けられていました。

全て出来る人間が有能とされるなら全ての科目を取るという選択肢を用意してもいい所を、どれか1つ(もしくは2~3科目)を選び抜かなければなりませんでした。

芸術であっても、音楽か美術か書道かを選ぶ必要がありましたね。

選択科目から学ぶこと

学生が勉学に励む学校という場所で選択科目という学習方法が取り入れられている事から見るに、人間はある程度勉強する範囲を絞らなければしっかりと身につかないものなのだと考える事が出来ます。

仮に全ての科目を学習することが出来たとして、どの科目でも成績上位を占めるのは選択科目で特定の科目に特化した生徒でしょう。

これは大人になってもあまり変わらないもので、音楽も絵描きも得意な人はきっと、音楽に特化した人だったり絵描きに特化した人には実力で一歩及ばないという傾向が見られるのではないでしょうか。

色々なことがやりたくても、極めたいなら取捨選択をしなければならない

私は以前にも、特定の分野に特化した人への憧れについて記事にしたことがあります。

考え方は当初とあまり変わっておらず、特定の事に特化するよりも色々な世界に触れたほうが楽しいものだと考えています。

しかし「有能と見られたい気持ち」、つまり承認欲求が時折顔を見せる事もあり、その度今自分がやっていることが正しいのかどうかを疑問に思うのです。

楽しいを取るのか承認欲求を優先するのか、中々難しい選択ではありますが、どうやら優れた人間になるにはたくさんのものを犠牲にしなければならないようです。

まとめ

以上、多芸は無芸という言葉とそれに対する考え方についてお話ししました。

私は1つの世界に引きこもりたくないと思う反面、1つの事を反復するという癖があるようで、やはり心のどこかで「なにか1つに秀でた人間になりたい」と考えているのかもしれません。

これまた私事ですが、実は2019年6月14日で24歳の誕生日を迎えたので、年齢的にもそろそろ身の振り方を考えなくちゃいけないなと焦っています。

優れた人間になることを目指すのか、それとも楽しいことを選んで無芸な自分を受け入れるのか、もう少しだけ自分の中でよく考えてみたいと思います。

というわけで本記事はここまで!ご覧いただきありがとうございました!


自分を操る超集中力